1952-02-22 第13回国会 参議院 通商産業委員会 第11号
それは終戰後間もない時代ですね、いわゆる四万錘の許可の問題が出る出ないというあの当時の状態におきまして、私はやはり当時国会で通商産業委員をいたしておつたときに、こういう発言をしたことがありますが、国内で競つて繊維機械の復活をやり、その輸出をしようという空気が出ておつたときに、我が国の将来の貿易は、やはり機械の輸出でなくして紡績或いは繊維品の輸出が中心になるのではないか、従つて今インドとかパキスタンにたくさんの
それは終戰後間もない時代ですね、いわゆる四万錘の許可の問題が出る出ないというあの当時の状態におきまして、私はやはり当時国会で通商産業委員をいたしておつたときに、こういう発言をしたことがありますが、国内で競つて繊維機械の復活をやり、その輸出をしようという空気が出ておつたときに、我が国の将来の貿易は、やはり機械の輸出でなくして紡績或いは繊維品の輸出が中心になるのではないか、従つて今インドとかパキスタンにたくさんの
までの税制その他においていろいろな不都合のところがあり、又戰争遂行等のために随分苛斂誅求と申しますか、無理な徴税の方法を採つておるということはこれは事実と考えまして、私の就任以來課税の方法についての解決、又税そのものについての検討及び一般財政において、財政支出面において、歳出面において政府としては行政費を極度に小さくして、そしてそれを減税に持つて行くという方針でやつておるのでありますが、併しながら尚終戰後間
そこで私共は終戰後間もない一、二年にして講和の時期に際会するものという希望を持ち、考えてもおつたのでありますが、それができずに今日に至つた。然らばいつできるか。皆成るべく早く対日講和をしたらいいということは、これは各国とも考えておるようでありますが、その実現については実際の状況においてどうだろうかということを心配いたします。
当時、終戰後間もない実情でありまするから、かような勅令が、緊急の要ありとして公布されたことについては、われわれ了解できるのであります。ところが、昭和二十二年の五月には、新しい憲法が効力を発生いたしました。そこで、この在来の勅令、命令その他は一応御破算いたしまして、新しい出発をいたすことに相なつたのであります。 これに対しては経過法が出ておる。
しかも終戰後間もないことでございまして、できることならば軍の施設とかその他を移改築して安くあげようというふうに努力しておつたのでありますが、一刻もゆるがせにしますと、民間の方で大いに活用しようというふうにやつておりましたので、そのままほうつておきますとかえつて遅く高いものができて来るような情勢でございました。
しかるに昭和十七年國策遂行上、強制的に配会会社に統合されましたが、終戰後間郡の財政は窮乏の極に沢しまして、各種緊急を要する事業は遅々として進まず、まだ六・三制の実施並びに造林事業等、多大の経費を要するが、これらに充当する財源は皆無の現状であります。つきましては配電会社解体後の今日、これが打開策として地方産業開発の原動力である本郡の電氣事業を公営に復元されたいというのであります。